• 播州 東古瀬地区 若連中

    -東古瀬(ひがしこせ)の祇園さん-

    巨 勢 会

  • Infomation

    イベントや祭の情報を掲載

    2024年5月15日 · 祭り,加東市,兵庫県,東古瀬,巨勢会
    当村で毎年開催される「八坂神社 祇園祭(東古瀬の祇園さん)」ですが、今年2024年度は例年通りに開催いたします。楽しみにされている来場者様や周辺住民の方々にも古き良き文化を継承しつつ、元気な太鼓の音をお届けできればと思います。 [2024年祇園祭り日程] 2024年7月7日(日):祇園の入り(準備) 2024年7月12日(金):宵宮(お祭り前日) 2024年7月13日(土):本宮(お祭りの日) 2024年7月14日(日):片付けと帳破り ※お祭りの詳細については追って配信させて頂きます。 ※雨天決行・荒天中止 ※当該の予定は都合により変更になる場合がございます。 ...
  • 巨勢会(こせかい)とは

    歴史古き伝統文化を継承する会

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    八坂神社「東古瀬の祇園さん」の保存

    世代を越えて受け継ぐ文化

    古くは地域の青年団・若連中とも言われ、東古瀬地区が保有する屋台(神輿)の管理・祭り(東古瀬の祇園さん)などの運営活動を行っています。

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    地区の絆を深める活動

    地区の団結と活性化

    地区を形成する村役や消防団、地区の方々との交流を深め、安全で住みやすい地域の保全を行います。文化を通じて子供たちの健全育成にも貢献します。

  • 東古瀬の祇園さん

    歴史ある京都八坂神社の流れを組む由緒あるお祭り”ひがしごせのぎおんさん”

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    八坂神社(大日神社)

    住民尊崇の神域

    古来より大日霊命(おおひるめのみこと)をお祀りする社が地域の中心にあります。奈良朝時代すでに巨勢部(現東古瀬地区)の民が居住し開発した古里であり、創建ははるかに上古の事だとあります。末社八坂神社は宝暦年間に当地方疫病流行につき、京都祇園社の分霊を勧請したものです。時期は江戸中期宝暦12年(1762年)に分霊・造営された古き神社です。社殿は本殿、弊社、拝殿からなり、明治25年(1892年)頃に造成されたと記されています。社殿造成以前は境内にある直径6尺(約180cm)にもなる松の大木に来身体の軸をかけてお祀りしていたといいます。ご神体は絵(掛け軸)があり、京都・丹波・東古瀬を合わせ「日本三幅」と呼ばれ、非常に貴重なものとなります。
     

    参考出展:兵庫県神社庁 大日神社

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    東古瀬の祇園さん(古瀬”こせ”の祇園さん)

    毎年7月第二土曜日開催

    東古瀬地区で最大のイベントとして広く親しまれているのが「東古瀬の祇園さん」と呼ばれるお祭りです。古くから地域の信仰と五穀豊穣の祈念して営まれるお祭りになります。祇園祭り(東古瀬の祇園さん)はかつては田植えの終わった旧暦6月7日に行われていたが、新暦の7月7日~14日の中日10日祭りとしていた。その後、屋台の担ぎ手の都合も考慮され以下の日程となり今に続いている。

     

    [東古瀬の祇園さん日程]

    7月第一日曜日:祇園の入り(準備)

    7月第二土曜日:本宮(お祭りの日)

    7月第二日曜日:片付けと帳破り

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    御旅所(おたびしょ)

    村民の玄関口

    東古瀬の祇園さんで重要な場所となる「御旅所」。その昔、高土手は神社境内にあり、その昔村民が旅路に出かける際に見送る場所。そして旅に出かけた村民が旅路から帰る際に出迎えたところといわれています。現在は地区の最南に移築され、場所は同じく高台(土手)になっており、祭りの際には屋台(神輿)を土手に担ぎ上げ、昔を偲ぶ場所でもあります。

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    地区の練り歩き

    五穀豊穣を願って

    農業が盛んな地区であることから、東古瀬の祇園さんは五穀豊穣を願って催す祭りです。車輪をつけた屋台は大きな太鼓の音を響かせながら地区を練り歩きます。すれば、太鼓の音を聞きつけた地域の人たちが笑顔で家の外に出て喜びを表す様が印象的です。そして時間をかけて地区を1周してから暗くなるころに宮入となります。屋台の中で太鼓を打ち鳴らす叩き手は地区の中学生男子が祭りの1週間前から毎晩練習を重ねて叩き手を継承していくのも伝統です。

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    宮入(みやいり)

    祭りのクライマックス

    時間をかけて地区を練り歩いた屋台はクライマックスへ。夜には屋台をライトアップし宮入へ。屋台の車輪が外され、およそ2tある屋台が担ぎ手だけで持ち上げられる。そして重い屋台を落としてはなるものか!と担ぎ手たちは屋台の重さに顔をゆがませながら大きな声で囃子を歌いながら屋台が境内を縦横無尽に練りまわる。最後は神前で屋台を大回転させ最後の力を振り絞り、掛け声とともに屋台を天まで差し上げる様は壮観です。

  • 東古瀬の屋台

    地区が誇る歴史ある有形文化

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    祇園守紋(ぎおんまもりもん)

    京都八坂神社の守紋

    祇園守とは、京都東山にある八坂神社のお守りをさす。祇園守紋の由来には三説があり、「祇園社の森の図案化」「キリスト教の十字架図」「牛頭牛の頭部の図案化」だが真意は不明。しかし、昔キリシタン大名やその家臣がクルス(クロス)紋を祇園守紋に変えてカモフラージュしたことは確かとのこと。祇園守紋は、クロスした筒が特徴で、以後筒は巻物に変わったが呪府のシンボルであったと伝えられる。

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    東古瀬の太鼓屋台

    歴史ある文化財

    東古瀬の祭り屋台は明治中期に印南郡曽根村から魚の行商人 馬場嘉一郎氏の世話で購入した屋台。昭和6年(1931年)に回漕業を営んでいた当村出身の小紫耕一氏が三代目絹常・小紫常三郎氏に依頼し、水引幕、梵天、昼提灯などを新調して屋台の修理も行った。屋台には前後にエビの梵天、左右脇には鷹の梵天が飾られ、狭間には鎌田興一と大橋昌信の銘があり、場面は「宇治川の先陣争い」「巴御前の勇戦」「石橋山の合戦-頼朝の木隠れ」が表現されています。提灯には八坂神社の祇園守紋が刺繍され、水引幕は「素戔嗚尊八岐大蛇退治」が刺繍されています。

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    水引幕

    当地区が誇る絹常の世界

    東古瀬の屋台を飾る水引幕。それは、当地区にある「絹常」の作品。絹常は当地区にある江戸時代末期、当主初代・小紫常蔵が播磨国小野において修行をし、独立創業したと伝えられる神具店。水引幕の題材は八坂神社の祭神である素戔嗚尊(スサノオノミコト)と櫛名田比売(クシナダヒメ)、八岐大蛇退治(ヤマタノオロチ)の話を意匠化したもの。

  • 祭囃子(まつりばやし)

    東古瀬祇園さんで謡う祭囃子(囃子言葉)

    特に伊勢音頭は全国各地で様々な歌詞や調子(あいのて)があり地域性の高い囃子になります。

    祇園囃子(伊勢音頭)

    [1番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    めでしょめでたのぉ~おいな 

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 若松ぅ~ういなさぁまぁよ

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 枝もなぁぁえ 栄えるよぉそぉれさえ 葉も繁る

    (ソラソラヤァ~ットコセ~ エェヨォ~イヤ~ナ~)

    (ソォラ アレワイナァ~ァコレワイナァ~(アイナ))

    (ソォ~リャ ヨォ~ォォィトセェ~)

    (※)合いの手繰り返し

     

    [2番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    お伊勢参りしぃいてな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 下向したぁ~あいなとぉきぃは

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 妻がなぁぁえ 喜ぶぅよぉそぉれさえ親よぉりぃも

    (※)

     

    [3番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    坂は照る照るぅういな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 鈴鹿はぁ~あいなくぅもぉる

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 合いのなぁぁえ 土山ぁよぉそぉれさえ雨がぁ降ぅる

    (※)

     

    [4番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    貴方見込んでぇえいな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 差すさかぁ~あいなずぅきぃは

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 受けてなぁぁえ こぼすなぁよぉそぉれさえ露ほぉどぉも

    (※)

     

    [5番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    差した杯ぃわいな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 中みてぇ~えいなのぉまぁれ

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 中はなぁぁえ 相生ぃよぉそぉれさえ 夫婦ぉうぅば

    (※)

     

    [6番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    恋の館はぁ~あいな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ めでたいぃ~いいなやぁかぁた

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 鶴がなぁぁえ 御門にぉよぉそぉれさえ 巣をかぁけぇる

    (※)

     

    [7番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    咲いた桜にぃ~いてな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ なぜ駒ぁ~あいなつぅなぁぐ

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 駒がなぁぁえ 勇めばぁよぉそぉれさえ 花ぁが散ぃる

    (※)

     

    [8番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    奈良で名所はぁ~あいな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 猿沢ぁ~あのいぃけぇよ

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 水がなぁぁえ 三分でぇよぉそぉれさえ 鯉ぃ七ぁ分

    (※)

     

    [9番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    忘れまぁいぞえぇ~えいな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 社のぉ~おいなまぁつぅり

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 鯉のなぁぁえ 芽生えのぉよぉそぉれさえ 思ぉいぃ出ぇよ

    (※)

     

    [10番]

    やぁ~れよぉからおおおいさぁ~え

    昔なぁつかしぃ~いてな

    (ヨイヨイ)

    やぁ~れ 巨勢のぉ~おいなみぃやぁに

    (ヨォオイセ~トォ~コ~セ~)

    やぁ~れ 鶴がなぁぁえ 舞う舞うぅよぉそぉれさえ 宮のぉ上ぇ

    (※)

     

    宮入り(囃子ことば)

    タミモユタカニ カミイサメ コリァ(※繰り返し)

     

    ヨノナカハ ヨーオテ タミノカマドモニギワシク オーカミノ オイカミデー

    オイサミ シャント サイタイナー

     

    ヨイマカセ アレワイショ コレワイショ ヨイヤ アシテナ ヨイマカセ

    ヨーワ サジャイ ヨーワ サジャイ

     

    [屋台仕舞い]

    タミノユタカニ カミオサメ コリァ(※繰り返し)

  • 兵庫県加東市東古瀬地区の由来

    Origin of Higashi-Kose district of Kato-shi, Hyogo.

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    兵庫県加東市東古瀬地区

    Hyogo Prefecture Kato-shi Higashi-kose

    巨勢会がある兵庫県加東市東古瀬地区は、東経134度54分・北緯24度53分に位置し、兵庫県の中部にある国道175線沿いの小さな地域です。地区には全国でも非常に珍しい蓮「大賀蓮」が植生する平池公園があり、周囲は田園が広がる地区人口381人の長閑な地区です。

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    東古瀬地区の歴史

    History of Higashi-kose

    地域の歴史は古く、過去の文献から見ますと地域の土着は平安期にまでさかのぼるようです。慶応4年(1864年)幕府領・旗本領の一部として東古瀬村の記載があり、明治期に廃藩置県により地域の確立が行われ、明治22年に町村制の実施に伴い兵庫県加東郡福田村東古瀬、昭和30年(1955年)に町制施行により兵庫県加東郡社町(やしろちょう)東古瀬、平成18年(2006年)に市町村合併により兵庫県加東市東古瀬となった。

    (参考文献:兵庫県加東郡社町東古瀬発行「巨勢誌(こせし)」)

  • 祇園さんへのアクセス

    [ACCESS]

    中国自動車道 滝野社ICより車で15分

    山陽自動車道 三木小野ICより車で15分

    JR加古川線 青野ヶ原駅よりタクシー等で10分

  • お問い合わせ

    ご不明な点やご質問がありましたら、ぜひ巨勢会までお気軽にご連絡ください。

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